白山繁昌記

白山三業組合創立二十周年を記念して「白山繁昌記」を編纂いたしました。 顧みまするに、我が白山三業組合が始めて呱々の産声を挙げたのは明治四十五年六月二十四日でありました。 当時、此の指ヶ谷町附近は今日の如き立派な町ではなく、極めて粗雑な家屋の立並んだ田舎町にも等しいものでありましたが、其の後、白山花街の発展と共に指ヶ谷町を中心とせる附近一帯の発達は非常なものでありまして、街衢も整ひ家屋店舗も美観を呈し、白山附近の繁昌振りは区内の誇りとなすに足ると存ずる次第で、誠に慶賀に堪えないのであります。...

地名『小石川』の起り

第一章 白山附近の事ども 地名『小石川』の起り...

白山附近各町の沿革

白山御殿町 白山御殿町は、白山御殿のあつた町なので、夫に因みて町名が起つた。御殿が廃されて後、御薬園となり、近傍の地を白山御殿跡と言つた。明治初年林町に編入せられ、一時は田畑となつ て人家希少となつて居つたが、後再び開けて独立の一町となつた。小石川植物園と東京聾唖学校の間を南に下る坂を御殿坂と言ふ。此処は往昔白山御殿表門の坂で、富士見坂、大坂とも言つた...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 高島秋帆先生邸跡(附秋帆先生墓所)

指ケ谷町 高島秋帆先生邸跡(附秋帆先生墓所) 高島秋帆先生は我が陸軍改革の首唱者であって、其の偉功は載せて勝安房編纂の陸軍歴史の巻頭を幾十貝に渉って飾りてあり、東京市板橋区赤塚町徳丸原、曾て先生が洋式の隊伍を率ゐて練武をなした地、松月院本堂前の紀功の碑は千秋寓古に其の題字に書してある。「火技中興洋兵開...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 千川屋敷跡

千川屋敷跡 千川上水は徳川家康入国に当り江戸に引く清水として創始したものである。 上水を掌る千川氏に宅地を賜つて居らしめたもので、今の指ケ谷町百二十九番地辺に其の千川屋敷があつたものであらう。...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 八百屋お七の墓(円乗寺)

八百屋お七の墓(円乗寺) 指ケ谷町百二十二番地南縁山円乗寺にある。 門前右側の石碑には八百屋お七墓所、天和会、二百卅三回忌に相当建之と誌してある。...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 法忍和尚遺跡

法忍和尚遺跡 指針谷町百二十二番地円秉寺八百屋お七の御寺にある。 法忍和尚は出身は審かならぬが、もとは京都九品寺の住職、諸国に巡錫し、のち江戸に出でゝ此の円秉寺内に草庵を結び、教化につとめ、宝暦九年の夏九月三十日示寂した浄土宗門の一僧侶なのである。...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 海野美盛氏墓(円城寺)

海野美盛氏墓(円城寺) 彫刻家として明治大正の時代に有名であつた。 海野美盛氏及其の一家の墓は円乗寺内、本堂に向つて左側にあり、海野美盛氏の石碑は、表に「海野美盛之墓」と記し、其の裏に「天真院台雲美盛居士 大正八年九月廿二日」之に並んで「想真院悦雲愛琴大婦」と赤く壽刻してある。...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 蓮華寺

蓮華寺(附岩瀬肥後守墓所の事) 本松山蓮華寺は旧記には本松山蓮華寺、法華、駿河国蓮永寺末、指ケ谷一丁目とある今は指ケ谷町二十八番地、電車通りの南側石段高く、指ケ谷を眼下に、遠く本郷西片町の高台と相対する台地の上にある。 石階を上り盡すと仁王門がある。...

史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 旧称の地名

旧称の地名 一口 指ケ谷町と本郷界との下水の前を古く一口(芋洗)と称へて居た。...