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玉川
世田ヶ谷区玉川瀬田町。 山手線渋谷駅前から玉川電車溝ノ口線に拠り(但連絡運輸の便なし)玉川停留場下車、三十分間、賃片道十六銭。 川崎市からは南武電鉄に拠つて「武蔵溝ノ口」で玉川電車に乗換へ、前記玉川停留場下車、賃三十二銭。 目黒、大井町方面からは目蒲電車の玉川線が通じてゐる。
電車を降りたところが即ち玉川の花街、—花街といふには些と面恥ゆい気もするが、元来が夏季の鮎漁と納涼を目的の遊楽地だから、料理店と、休茶屋と、みやげ物売る店とを除いたら外には何にも無い処で、旧二子の船渡津がコンクリートの二子橋となつた、その橋を挟んで右岸の「二子神明町」と相対して居るのが此の花街である。 二子神明町が高い堤防のためにその生命とする川の眺望を半ば遮られて居るのに反して、玉川の主なる旗亭は左岸の堤上に在つて、直ちに多摩の清流に枕み、涼風生腋下抵の好眺望に富んで居ることは、此地の誇りであり又強味でもある。
三乗地としての許可を得たのは昭和二年五月で、所謂民政党内閣が置土産の花街のひとつ、それ迄は目黒芸妓の出稼ぎ地であつた。 現在は芸妓屋七軒、芸妓が十七八人、待合も許可になつて居るが今日のところ未だ一軒も出来て居らぬ。 料理屋と称するもの約二十軒(飲食店を含む)あるが、東京の客が行つて登る家は、水光亭、同別館。 柳屋。 中家の四軒位のものであらう、いづれも水に臨んで気分がよく、設備も相当整つてゐる。
遊興制度
芸妓の玉代一本二十五銭で一時間は二本、二時間を一座敷として祝儀二円、箱丁五十銭、即ち二時間合計三円五十銭。 小芸妓は玉代十五銭、祝儀一円五十銭、箱丁四十銭、二時間合計二円五十銭。 一時間未満は一時間として勘定する。 遠出は五時問を一くぎりとして祝儀五円、玉代は普通の通り。 但し遊船は遠出にならず、平座敷通りの勘定である。
夏の玉川景物
多摩川の秋の月は佳い、それはたゞ彼の二子橋の上から眺めたゞけでもすぐれた風景だと云へる。 久地の梅についで対岸の二子から丸子にかけて沿岸一帯が妖艶な桃の花雲に蔽はれる春の風情も、捨てがたいものには相違ないが、此地の生命は何と云つても夏である。 殊に河水に舟を泛べて鮎を狩り、涼を逐ふところにある。 水清く風冷やかに夏宵正に値ひ千金の概きがある。 鮎は多摩川の名物だ。 —然し私は多摩川の鮎を美味いとは思はない、殊に近年琵琶湖から小鮎を輸入して放流してゐる、あの鮎をうまいとはおもはない、鮎の生命である芳香に乏しい。 とは言へ、漁つた鮎をすぐ船の中で料理して食べる趣きに一種の風情がある、味ひ亦おのづから其の処に生ずる。
往きませうよね多摩の河原へ、あの月見草の、コラサ、咲く頃に。
二子橋を中心として上下の石河原には月見草が多い。 水の如く流るゝ月の光を浴びつゝ、その白く夢のやうに咲く宵待草の花を逐ふて歩るくのも、盡きぬ興であらうし、月光を踏み砕きつゝ洩瀬をかちで渡るのも、時に取つての逸興であらう。
名物「雪見炬燵」
多摩川の雪景のすぐれて居ることは私が贅説する迄もない、而してこゝに水光亭独特の「雪見炬燵」なるものあり、新市街花街の一名物と云つてよからう。 炉を深く切つて腰掛式にしたもので、上部は普通の炬燵と異る所はないが、足の爪先から腰の辺までぬくぬくと温まる心地好さ、連れこみの雪見酒などは怪しくも趣き深きものなりけらし。