大森新地

「大森海岸」の三四丁先きで、京浜国道からちよつと南へ入つた海岸の埋立地、大森新地といふが本称であるが、元この一画は都土地会社の分譲地であつたところから「都新地」とも呼ばれてゐる。

大正十四年の創立だが、三業の体裁を整へたのは昭和二年以降、ほやヽの新花街のひとつで、花街の真ン中にベースボールをやるに足る空地を有し、日毎月毎に新らしい芸妓屋・待合が、ドシドシ建て増されつゝあるのが此花街であつて、

芸妓屋 四十三軒。 芸妓約百五十名。

料理屋 三軒(つるや、貝茶屋、一舟)。

待合 四十一軒。

一切の余業を交へず、一画整然たる朱引地内、人も建物も、すべてのものが新らしく、一種清新な情緒をみなぎらせてゐる。 それに海中へ突出した埋立地だけに、廓の三面は海で、コンクリートの土手の下にはヒタヒタと東京湾の水が打寄せ、オーイと声をかければ声の届きさうな真近を帆かけ船が悠々とすべつてゆく趣も、外では味へない独特の風趣である。

主なる料亭・待合

大井や大森海岸ほどに規模も大きく設備の整つたといふ待合に乏しいが料亭では「つるや」、待合では林月、満壽の家、成駒などが大きく、之に次でやまと、久の家、春本、弥生、千登世などに指を屈すべきであらう。

それに逸してならないものに「安くてうまい」沢田屋がある。 都新地を知らない者はあつても、大森の沢田屋を知らぬ者はないと言はれる程今全盛を極めつゝある家で、材料の魚類を市場に求めず、自家用の漁船で漁つた鮮魚を、安くうまく料理して食はせる家、たらふく飲んで食つて二円は使ひ切れぬといはれる大衆向きの料亭、夕刻の時間どきには沢田屋の路次には円タクの市が立つ。 組合には加入してゐないが、芸妓もはいるし、目下廓内に壮大な別館を建築中である。 竣工の上は当花街の一名物となること疑ひなし。

遊興制度

芸妓は最初二時間を以て一座敷とし、大芸妓三円五十銭、小芸妓二円五十銭、爾後一時間毎に大芸妓一円四十銭、小芸妓一円二十銭の割。 「挨拶」は大芸妓一円五十銭、小芸妓一円二十銭。 外に「箱入挨拶」といふ特有の制度があつて(一時間以内)大芸妓二円、小芸妓一円七十銭。

別祝儀二円二十銭。 ○○外は○○時以後六円、十一時切替は一円増しの七円。

待合の席料は大森海岸、大井等と略同様。

特有の歌謡

「大森新地小唄」—平山蘆江作詞、清元延葉蔓壽作曲、花柳総之助振付。

オヽサヨイヽ、よい汐先だよ。 浜は見晴らし、三原の新地で、

ちよいと見染めたあだ姿。 どうしたえ。

オヽサヨイヽ、よい夢見たかよ。 浜の夜明に、浪間のきぬヾ、

ちよいと鳴いたはあれア鴎。 どうしたえ。

オヽサヨイヽ、迫手の白帆は。 下田がよひか、通うて見る気は、

ちよいと新地の観世音。 どうしたえ。

オヽサヨイヽ、寄来と八幡に。 バスがとまつて、あなたの姿に、

ちよいとよく似た男ぶり。 どうしたえ。

オヽサヨイヽ、よい月見るなら、都新地の、浜手の座敷地、

ちよいと爪弾きさしむかひ。 どうしたえ。

オヽサヨイヽ、よい事聞ことて、しびの大森、東京みやげは、

ちよいとこゝから海苔の味。 どうしたえ。

オヽサヨイヽ、三原の眺めは、羽田、横浜、あの火は上総か。

ちよいと洲崎ヘ一またぎ。 どうしたえ。

此の唄、よく都新地の情調を歌ひあらはしてゐる。 秋多よりもこゝの生命は夏にある。