湯島天神

本郷区湯島天神町一丁目にあり、市街電車は旱稲田—外手町線、又は大塚—外手町線の「天神下」停留場下車。

昔、ころびの本場

菅公を祀る湯島神社(現在府社)を中心として起つた花街で、余り古いことは知らないが寛政時代にはすでに若干の芸妓が居つたらしく、「ころび芸者」の名府内に喧伝されて居つたところから察すれば、発展家ぞろひであつたと見える。

ころんだら食はふヽとついてゆく、芸者の母のおくり狼。

などいふ狂歌さへ出来てゐた。 池の端の花街と殆んど地を接して連なり、帝大生を常華客として両々相俟つて発達して来たものであるが、地を接してゐるだけに常に池の端に圧されてゐる気味がある。 しかし池の端が水に枕んで独特の風趣を有せるに対して、こゝは天神の台地を舞台として下町の夜の灯の海を一目に見おろし、忍ヶ丘の翠色を一眸に収むる趣き、また甚だ捨てがたいものがある。

今日の天神花街

芸妓屋三〇軒。 芸妓八〇名。

料理屋 十四軒 待合 二十五軒。

主なる料亭

魚十、松仲、鳥又、下金、末松、いづみ。

主なる待合

飄々、花の家、平の井、喜代志、千梅。

此地では何と云つても料亭では魚十、待合では飄々が一際光つてゐる、今も尚その通りかどうか知らないが飄々といふ家は京都風の風雅な庭づくりで、殊に庭下駄をはいて座敷へゆくあたりの気分が伸ンびりとしてゐて好かつた。

遊興制度

こゝは可なり旱くから時間制度を採用し、その芸妓代は別表の通り、別祝儀は五円、十円と云つたところが先づ普通とされてゐる。