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下谷
下谷区数寄屋町、池ノ端仲町から本郷区同朋町に跨がる一区域。 省線上野駅或は御徒町駅から各四五丁、市街電車は「上野広小路」又は「上野公園」下車。
別称「池の端」—蓋し上野公園の不忍池の畔にあるからの別称で、部分的には「数寄屋町」或ひは「同朋町」とも呼ばれる。 即ち下谷、本郷両区に跨がる一寸めづらしろ花街で、芸妓組合もつい一両年前は「下谷芸妓」「同朋町芸妓」の両組合に分れてゐたが、今日は合併して「下谷芸妓組合」なる一団体となって、芸妓屋 約一六〇軒。 芸妓約四〇〇名。 出先きは昔から共同で、料理屋が約二〇軒。 待合が約一一〇軒、数の上から言っても実質からしても、東京では二流の上に位する大花街である。
池の端の夜の灯
今は山下を電車が通るやうになつて幾分殺風景にはなつたが、それでも公園入口の池に面した徒崖や精養軒辺から見おろした夜の光景、—不忍池の向ふ端に料理待合の軒燈がズラリと一列にならんで、それが池の水にうつる風景は、東京の花街でもちょつと他には類のないなまめかしさを見せてゐる。 蓮の花咲く不忍の池を抱こんで居る点が何と言つても此の里の生命で、左に弥生ヶ丘、右に東叡山といふ眺望もひとり池の端の待合のみが誇りとする所である、殊に老木に富んだ上野公園のこんもりとした大きな森はあたりの風景を一際引立てゝゐる。
春は、丘上一面あいたいたる花雲に蔽はれ、夏は池の面一ぱいに紅蓮白蓮でうつくしく色どられる。 秋の月、多の雪景、とりヾに趣きがあつて、甍の海の東京の真ン中にどうしてこんな処があるかと、まア大袈裟にいへばそれ位に誉めてもいゝところ、不忍の池の眺めは四季に適してゐるが、わけてその池の表、蓮の広葉に降りそゝぐ夜の雨を聴きながら浅酌低唱は風流の極み殊には夜ふけて水の面にひゞき来たる「上野の鐘」は叉なくうれしいもの。 だが、然しだ、此の池の畔には一年の中三分の二位は何とか博覧会といふものが開かれて、それがまた極つて夜間開場とくるには全たくあやまる。 世にも憂たてきものは、池の端の博覧会てふものにぞありけるか。
総じて此地には東京ッ妓が多く、余りお国訛りを聞かない点がうれしく感ぜられる。 と云つて柳橋芳町ほどに粋でない、花に例へれば妖艶にして尚且つ野趣を含む桃の花か。 土地が下町と山手に堺せる関係もあらうし、客種が比較的雑多である所為もあらう。 むかし此地は大学生の遊びの本場とせられたものだが、近頃は学生の客は滅切滅つたといふことである。
主なる料亭
公園の常磐花壇、公園下の山下、清涼亭、池の端東仙閣、池の中の笑福亭、同朋町では花家。 その他岡鶴、住吉、三千、鳥料理のみやこ鳥、香月、鰻の伊豆栄など。 伊予紋の料理も晩年は余りたいしたものでなかつたが、無くなつて見ると矢張り淋しい気がする。
「お山」といへば公園の常磐のことで即ち西郷さんの銅像のうしろ、東京市の何分の一かは一眸の下に在り、都の夜の灯の美くしさにうつとりさせられるが、こゝは宴会が主。 地の利を占めて最も気分の好いのは、何と言つても池の中の「笑福」であらう、出来ることなら此所は待合にして置いて、寝ながらにポンポンと蓮の花の開く音をきゝたいところである。
芸妓は入らぬがうまい物ではおでんの「魚亀」、天ぷらの「天民」、そばの「蓮玉」と来ると此里の名物で、仕出しは「魚新」を第一とする。 「揚出し」も元は名物に算へられたものだが、何でも屋になつてから評判を落とし、蓮玉も表へ出て改築して以来どうも少し世評が悪いやうである。
主なる待合
昔から今に、相変らず梶田家の全盛、つゞいて新梶、清の家、布袋家、富田屋などいふところが代表的な家であらう。
因に此里には九人の幇間が居る、が親玉は桜川三寿でこれは御承知の通りの料理通、揚羽家の徳二は新内と笛がお碍意、同じく笑蝶は平場がおもしろく、同五六は河馬のやうな顔をしてゐるがあれで却々いきな男なんださうで。 銀次とくると「仕立屋かい」などゝからかはれるが、気のさくい男で書生肌のところが客にも芸妓にも愛されると自分で言ってる訳ではない。
池の端摩詠(詠人しらず)
不忍にふる夜の雨、鐘の音、さかづきの酒かすかにふるへり。
笑福にさかづきふくみっ不岡想ふ、瀧田樗陰はよく飲める哉。
蔦子をば一目見しより池の端の夜を美くしとおもふ兒あらむ。
かゞなへば三年ぶりなる峰吉の顔ますくに大きくあるかも。
摩利支天、そゞろあるきの仇すがた池の端にも夏来たるらし。