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大阪花娼辞典
芸妓及び家形
芸妓のことをゲイコ又はゲイコシといひ、小芸妓のことをマイコ(舞妓)といふ。 「家形」は館の当字であらう、芸妓屋即ち芸妓の居る家のことである。 娼妓の居る家も同じく家形と云。 之等は京都を始め関西地方一般に通有の語。
芸妓扱席
略して「店」といふ、略東京の芸妓検番に同じものであるが、特色は、東京の如く一花街に一検番又は二検番といふ如き統一組織でなく、各店が独立した線香場を有つて居ること、例へば南地には二十一軒北陽には九軒の芸妓扱席がある。 但「扱席」と「貸席」を兼業のものがある、たとへば南地で有名な富田屋、大和屋、河合の如きが其実例だが、要するに経営者が同じと云ふのみで、貸席の富田屋と芸妓扱席の富田屋とは元来別個の性質のものである。
家形と扱席及び姉と妹との関係
大阪の芸妓には家号がなく凡て扱席の名を冠して名乗る、例へば京屋席の千代太郎、富田屋席の玉勇の如し。 千代太郎は幸四郎贔負で知られた新町の大茶屋大屋の娘であるが、大屋の千代太郎でなく京屋の芸妓として出てゐる。 即ち京屋が店で、家形が大屋といふ貨席なのである。 次に姉芸妓と妹芸妓との関係だが、是も一例を挙ぐれば玉勇に沢山の妹芸妓がある、五人あるとして皆「店の姉」としては玉勇だが、皆富田屋に居らなくても各自に家形を有つて居ていゝのである。 又玉勇自身もその妹を抱えて、他の友達芸妓の妹として出すことも一向差支ない、即ち富田屋玉勇が金を出して抱えてる女を、大和屋の小政の妹として稼がせても、それは自由なのである。 お解りかしら?詰り「姉」とは元来家形の主婦が芸妓である場合その妹芸妓(或は抱妓)に対しての称呼で是は全国殆んど一般的であるが、芸妓に出るには家形の姉の外に更に勢力のある芸妓に頼んで其の妹分として出てもよい、それを「店の妹」といふ、此辺の関係が少しやゝこしい。
娼妓
普通オヤマといふが、新町ではマン夕、南地では「送込み」と云ひ異つた呼び方をして居る土地もある。 娼妓にも娼妓扱席があり、その専門に出入する貸席を「オヤマ屋」といふが、必ずしもオヤマ屋にのみ出入する訳ではない。
大阪の娼妓の特色は、各自それぐ家形を有して貸席へ招かれて営業をすることで、妓楼居付の女郎とは大いに趣きを異にし、その日常生活上には所謂籠の鳥式東縛を受くることもない。
花
芸妓又は娼妓の線香代(或は玉代)のことである事説明する迄もないが、その特色は(一)一本の代を十銭とか十五銭とか非常に小額として、一時間の本数を八本とか十本とか云ふ風に沢山に算へること。 (二)小芸妓の花代が大芸妓と同額であること。
貸席
「お茶屋」といふ、芸妓を揚げて遊ぶ家のことで、料理は自宅で行はず仕出し屋から取る。 東京の侍合と略同じ性質のものであるが、之に本茶屋、一現茶屋、おやま屋の別がある。 「本茶屋」とは南の富田屋とか、新町の吉田屋とか潮見亭とかいふ詰り一流乃至二流程度の家で、馴染の客か或ひは紹介者ある者でなければ上げない。 蓋し、元則として勘定は現金払ひの事となつては居るが、実際は殆んど悉く節季払ひの慣習だから、さうした習慣の生んだ制度であらう。
江戸の女郎に長崎の衣裳を着せて大阪の揚屋で遊びたい。
と謳はれて、古来大阪の茶屋は遊び心地の好いと定評のあるのも、この本茶屋に限つた話で、一現茶屋ではほんとうの大阪花街気分は味はへない。
「一現茶屋」は現金制度で一見の客であらうと何であらうとドシドシ上げる。 軒燈に小さく一現と書いてあるから直ぐ判る。 が、本茶屋に出入する芸妓は事実上一現茶屋へは出入しない。
娼妓は何れの茶屋へも呼べるが、芸妓の居る酒席へは出ないで床で侍つて居るのが例である。 尚一現茶屋と称するものゝ中に娼妓専門の妓楼が若干含まれて居る故、これは一寸注意せねばならぬ、そこには居付の娼妓が在つて、名は同じく貸席でも芸妓は出入しない。
料理屋は即ち料理屋で格別説明を要せぬが、大阪の料理屋へは芸妓は出入しない、此点大いに事情が異つて居る。 即ち大阪の花街と料理屋との間には、何の有機的関係がなく、もし客が料理屋へ芸妓を呼ぶには自身馴染の貸席へ命じ、その貸席から仲居同伴でやつてくるのである。 但料理屋ヘ一任してもよいが、其場合は、料理屋は平素取引のある茶屋へ申付け、芸妓は 扱席から一且貸席へゆき、貸席から更に料理店へ来るといふ形式になってゐる。
席賃
貸席にあらず料理屋にあらず、又旅館でもなく、而もそれ等を兼ねた様な一種特別な家で表面の届出は旅館兼料理店となって居る。 料理もすれば宿泊もさせること届出の通りだが普通の旅客を泊めず一現の客をせず、又芸妓扱席との間に連絡もない。 要するに連込専門の家で、伸びりとした気分が粋客に喜ばれる。 席料を取らず、茶代を主なる収入とするもので、芸妓づれで一夜を遊ぶとして、飲食は別として先づ十円の茶代と仲居へ五円の祝儀が普通、それ以上は身分に応ずる。 然し支払ひが貸席と席貸と二重になる贅沢な遊びで、近年は余り流行らなくなった。 席貸の主なるもの四区大目橋の越路、土佐堀の京家、大宝寺町の菊水、笠間町の清梅、南地の伊藤、秋琴亭、曾根崎の上田等。
仲居
茶屋の女中のこと。 延て料理屋・旅館等の女中にも用ふ。
おちよぽ
見習ひの少婢。
知らせる
芸妓をよぶ、又は口を掛けること。
逢ひ状
貸席から芸妓へ客の来たことを通知する一定の用紙。 馴染客が来れば貸席ではすぐに予て印刷してある「逢状」に、客の名と相手の芸妓の名を書込んで、おちよぼをして芸妓扱席へ持たせてやる。 扱席からそれを芸妓の家形或は出先きへ届ける。 『××様ゆへ、はやはや御 越し待入候 潮見亭 ××殿』『××様御こしゆゑぜひすぐに 新町大鹿 ××どの』『××様ゆゑ 一寸にても御越しの程待入候 木本楼××殿』など、種々と仇な文句が書いてある。 芸妓はそれを帯の間へ挟んでその座敷へゆく。
此逢状の多きを以て妓は誇りとしてゐる。 電話といふ便利なものゝある世の中に、こんな物を廻してゐる所が大阪の色町のうれしい所で、逢状といふ名の艶めかしさ、殊にうれし。
百の百
或ひは『二百の三百』などいふ事も他国の人には一寸解しかねる花街用語で、近頃は多く東京風で女を御するに百円とか二百円とか言放つやうになつたが、古風なお茶屋では矢張り此やうな言葉を用ゐてゐる。 上の「百」は百円の意で、下の「百」は日柄百本といふ意味即ち「百の百」の芸妓といへば、特別祝儀百円に日柄を百本つけることである。 日柄は花五本(一本十五銭)になつてゐるから、日柄百は花五百本(七十五円)に当り合計百七十五円、それで月に三度逢ふといふのが最初の月の定めで、二筒月目からは先づ随意だが、最初の月は三度が限度基数としてある。 此へんの消息も東京あたりとは大分異つてゐる。
他所行(タショユキ)
東京でいふ「遠出」のこと。
お盃
東京でいふ「御挨拶」のこと、但大阪でも一股には矢張り挨拶と云つてるやうである。
尚微細の点は各花街の項に於て述べるが、曾根崎を除いては各花街ともに芸娼妓混合で、いづれも貨席へ招んで遊ぶこと、これが大阪の花街の特色である。