先斗町

加茂川の西涯、三条大橋と四条大橋との間の一廓。 此の間は自動車が入らない。 電車は「西条小橋」の停留場が最も近く、四条大橋(東口)で降りても只橋一つを渡るだけのこと、但北寄りは「三条木屋町」に降りる方が近い。

誰れであつたか、先斗町は鰻の寝床のやうに長細い色街と云つだが、全たく、四条の橋の袂から北へはひると、殆んど三条の橋の袂近くまで、十町ばかりも続いた細長い一すぢ町、と云ふよりは路次に近いその両側に並んだ青楼の燈火で、路ゆく芸妓舞妓の白い顔がほんやりと浮いて見える、まさに典型的な「狭斜の巷」である。

東側にある青楼の多くは加茂川に枕んでゐるから、座敷の障子を明ければ月の光りはさしこむに任せ、川の水は静かにせゝらいで、布団着て寝たる姿の東山三十六峰は、墨絵のやうに浮かび出てゐる。

東山の風光綺席の間に落ち、雨の日によろしく、月の夕によろしく、夏の宵の水声によろしく、冬の千鳥によろし。

と、市役所編纂の名勝誌に讃美してあるくらゐ、実際東山は、山の容といひ、山までの距難と云ひ、此処らあたりから眺めるのが一番すぐれて居るやうに思はれる。

殊に夏になると川に面した家々では、川の面へ張出しの座敷をつくつて清々しい青竹の手すりなどを附ける、そこに陣取のて浴衣の袖を川風に孕ませながらビールの滴を引く快さは、夏のくる毎に私のこゝろを此に引付けないでは措かぬ。

先斗町の特色

京のあそびは祇園に止めを剌すことは言ふ迄もなく、先斗町では決して本当の京の花街情訓は味へるものでない、が、是れは誰でもいふ所だが祇園の芸妓は取付きがわるい、馴染の妓でもあるか、行つけの友達と一緒にでも行けば面白いけれど、旅の客なぞがたとへ一流の旅館から紹介させて行つて、一流の茶屋で、一流の美人を招んで遊んで見たところで、一向何の変哲もない。 きちんとお手々を膝に置いて、人形然と座つて居るばかりである。 老妓となれば流石にさうでもないが、そして近来大分此の妓風は脱けて来てはゐるが……。 その点にゆくと先斗町は初会から親しみ易く、気分が何程か東京風を帯びてゐる。 芸妓ばかりでなく仲居も、女将も、花街全体がさうしたカラアの処である。 それは全たく、川一筋でかうも気分が異るかと不思議に感ぜられる位だ。 少し浮ツ調子で安直な代り、それだけ現代的といふか、兎に角東京者には最初はこゝが遊びいゝ。

こゝには娼妓は居ない、純然たる町芸妓風で、踊りも祇園とはちがつて此処は若柳である。 それに又花街そのものが小さく、小ぢんまりとして居ることなども、遊びよい一つの原因ではないかと考へる。

現在芸妓 約二五〇名(内舞妓約二十名、義太夫二十名)。

貸座敷 百六十三軒

先斗町の起原は祇園に較べると余程新らしい、寛文十年(約二百七十年前)加茂川に沿ふて石垣の普請が行はれた。 その時それを当込んで此あたりに岡場所ができたらしく、次で延宝二年の二月橋下町、若松町、梅ノ木町、松本町に初めて五軒の揚屋茶屋が許可された。 正徳二年、橋下町から西石垣斉藤町の間に生洲株なるものを差許されて、三条から四条に亙る現在の地に茶屋旅籠屋ができ、「茶立女」といふ名義で一種の遊女を置いた。 これが先斗町の・起原で、「芸者」といふ名目を公許されたのはそれからずつと後の文化十年からであつた。 即ち今から百十余年前である。 と云ふと八釜敷も聞えるが、京都の表玄関口たる三条の橋の袂に、色街の出現発達は当然な勢ひだつたのである。

代表的青楼 

先斗町のお茶屋は道路の東側に在るのがよい。 順に挙げてゆくと、

宮竹 島房

浅の家 山愛

林政 西里

森福 (丹鶴)

高浪 小島家

丸為 豊沢

吉野家 中藤

川村家 (蔦屋)

安井 楠

山科 (岡ちか)

雛の家 山勝

大友 万秀 長沢

堀床 松里 阿原

平仲 近江 夏木

中尾 豊美家 青木

井三代 いづも 大藪

高木福 (大市) 松竹楼

(井種) 菊の家 上田梅

松鶴楼 卯月 山徳

富久家 時武 西村

(長谷川) 末の家 泉清

金八重 (石房) 小松竹

三芳楼 栄亭 松島家

側線を施したのが比較的名を知られた家である。 西側では三栄、菊寿亭、鶴亭、松梅、桂春などが暖簾も古いし、まあ好いお茶屋だらう。

こゝのお茶屋も一現客をしないが、松鶴楼の如きは近来どしどし一現客をあげてゐると云ふことだ、時勢に逆行はできない、さうした風習も漸次廃つてくるであらう、私の最初に行つた家は無論好い家ではなかつたが、誰れからも紹介を受けた訳ではなく、そこの女将と芝居で隣り合つて、言葉を交したのが元であつた。

遊興制度

芸妓の花代は一本二十七銭、一時間は午後六時より夜十二時の間は五本、その他は四本の割であるが。 長時間の遊びは左記の勘定になる。

午前六時より正午迄十本三円七十銭

正午より午後六時迄二十四本六円四十八銭

午後六時より夜十二時迄一一十四本同

夜十二時より朝六時迄十七本四円六十銭

通し花(一昼夜)七十本十八円九十銭

祝儀無し、席料無し、遊興税も右の中に含まれてる。 東京で遊ぶことを考へるとタダの様な気がする。

特別祝義は先づ五十円以上三百円といふ処だが、五百円位の例もあれば、下は十円、二十円のも随分あるらしい模様である。

特有歌の踊

特有の唄といへば祇園と同じく「京の四季」より外にない。 祇園の都踊りに対して此地では「鴨川をどり」を催す。 その起原は都をどりと同じく明治五年からで、一時中絶して居つたこともあるが、明泊廿八年に復興して以後は建物改築の為め二回休んだ外は毎年続けて催し、都踊りと共に京名物のひとつに数へられてゐる。 殊に大正十五年約百万円を投じて鉄骨鉄筋のすばらしい歌舞練場を新築し、今日は加茂河畔に威容堂々として聳え、建築の壮麗さでは遙かに祇園を圧倒してゐる。 開期は従来五月一日から二十日であつたが、改築後は時期を繰上げて都をどりの終らない中、即ち昭和三年は四月廿一日から一ヶ月間、昭和四年は四月十日から一ヶ月間開催し、同時に踊の内容にも大いに新味を加へて来た。 昨年の新作は山岸荷葉氏の「光の春」(八段返し)といふので、就中吉枝、卯の子市蔵、市彌などが女神に扮して思ふ存分に踊つた「平和の国」などはなかなか好評であつた。