一、八街山不動尊と縁日 第七章 余録

第七章 余録

一、八街山不動尊と縁日

指ヶ谷町花街近傍地に銀座せる八街山不動尊は千葉県成田八街山不動尊の御姿を奉遷し来れるもので、本郷小石川両区の大地主、本郷二丁目の萩原太兵衛氏先代より尊崇し奉る所縁にて大正十年末に至り、同氏が自己の所有地たる前記の場所に移遷し奉ったものである。

当時現白山三案株式会社々長、秋本平十郎氏及野上保太郎氏発起人となり、此の奉遷を意義あらしむ可く有志家と相圖って各三業関係者其他より寄附を募り、二枚の総欅の懸額を奉納したが右側の懸額には

発超人 野上保太郎

世話人 寺田藤七、鈴木秀、片山鉱三郎、池田貞逸、松井新太郎、吉本吉太郎、川井己之助

左側の懸額には

発超人 秋本平十郎

世話人 秋本鉄五郎、三枝鶴吉、高野季晴、糸居銀一郎、高橋準司、石原徳太郎、須黒徳太郎

諸氏の各及各三業営業者の姓名を記してある。

斯て奉遷後十余年を経過したが、花商兼植木業野上安太郎氏は、今年に至り経済界の不況の打撃を受け漸次指ヶ谷町一帯の土地が淋びれ行くを憂慮し、八千代町の寺田藤七氏と相談の結果、毎月一日、十五日、廿八日の三回に日を定めて不動尊の縁日を開くと同時に、白山花街一帯に夜店を開く事に定め、秋本平十郎氏の手に依って、去る八月一日其筋の許可を受け、三業関係者としては秋本氏は勿論、高むらや、三浦家、梅本、惠比壽家、稲の家、各商店其他としては八千代町では寺田氏を始め、野崎自転車店、河合硝子店、相沢氏、三富元区会議貫、指ヶ谷町では越久酒店、九八屋小間物店、金寿司、魚徳、米屋呉服店、田辺歯科医、鈴木豆腐店野村鹽物店、海老屋パン店、赤城八百屋、後藤稲太郎氏、後藤薬局店、内田屋呉服店、下野下駄店、浦山炭店等其他の諸氏の賛成を受け、爾来毎月之を実行して居るが、之れが為め附近一帯は非常の繁昌を来し、之れが為め不動尊の御祭銭も増加し来った様であるが、発起人諸氏の労や大に多とせねばならぬ。