取締役 菊地清太郎氏 二、 白山三業株式会社重役略伝 第六章 白山三業株式会社現況

二、 白山三業株式会社重役略伝

取締役 菊地清太郎氏

現白山三業株式会社取締役菊地清二郎氏は、 明治元年八月四日生、 郷里は神奈川県足柄上郡岡本村の人、 代々農家であつて材木業を営んで居つた。明治二十五年上京、 牛込区に住して当時は陸軍砲兵工廠に勤務して居た。大正七年五月、 小石川区指ケ谷町百三十七番地に転居、 大正八年四月十五日、 芸妓屋恵比寿家を開業して大正九年に白山芸妓屋組合評議員となつた。昭和四年十二月推されて白山三業株式会社監査役となり、 昭和五年十二月の白山三業株式会社制度改革に際し、 更に同社取締役に選任せられて現今に至つて居る。三業関係以外に於ては大正十年、 指ケ谷町会の評議員となり、 昭和元年には同会の幹事となり、 同会の為めに尽す処があつた。初めて陪審制度の実施せらるゝに当って、 同氏は昭和五年度東京地方裁判所陪審に嘱託せられた。同氏は人と為り、 極めて温和着実、 華々しい業界に於て真面日一方で通して居る性格の人で、 成田山不動尊の信仰家であつて、 小石川の花柳界に多数の信心者を持つ一心講の世話人である。又大正五年頃から茨城県笠間の稲荷様に所縁があつて同白雲講の講元となつて居る。