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取締役 斉藤奇一氏 二、白山三業株式会社重役略伝 第六章 白山三業株式会社現況
二、白山三業株式会社重役略伝
取締役 斉藤奇一氏
現白山三業株式会社取締役、 営業部員、 対外係会計係、 斉藤奇一君は、 明治二十四年二月二十日、 埼玉県入間郡富岡村に生る。代々農耕を以て業とし、 郷党にも知られた家柄である。秋本現社長と同郷にて、 同じく入間尋常高等小学校に学び、 明治三十九年三月を以て同校高等科四学年を卒業した。明治四十四年十二月、 召募に当り宇都宮歩兵第六十六連隊に入営したが、 間もなく病症に罹り、 大正元年兵役を免除せられて帰郷した。其の頃白山三業組合の組織が出来たので秋本現社長の勧めに依つて上京し、 同三業組合に入社し書記として会計係を兼務することになり引続き三業株式会社にも勤務し、 大正八年迄、 同社の為めに勵精事務に当つて居た。尚芸妓組合の常任会計を任ぜられ、 大正七年より同組合の解散迄之に当つて居た。大正十年白山三業株式会社の監査役となり、 三期間継続留任し、 昭和五年同社重役改選に際して取締役に選ばれ現今に到るのである。同君は白山三業組合の創業時代から今日迄連続関係して居つて、 白山三業株式会社に於ては秋本現社長及び高野氏等と共に古参者の一人である。営業所は小石川区指ケ谷町百四十六番地、 芸妓屋梅本、 性格は温良謙遜、 極めて真面目な人であるから、 是迄度々家屋税調査員、 所得税調査員の選挙毎に候補者に推され、 常に辞退して応じないのであつた。以て其の風格を想察することが出来るのである。