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取締役 塚田定吉氏 二、白山三業株式会社重役略伝 第六章 白山三業株式会社現況
二、白山三業株式会社重役略伝
取締役 塚田定吉氏
現白山三業株式会社取締役営業部長塚田定吉氏は小石川区餌差町三十三番地住、 割烹大正亭を開業し、 盛大なる営業振りを示しつゝある。氏は安政六年十二月十六日を以て、 江戸は麻布狸穴町土屋相模守の下屋敷に呱々の声を挙げた。父祖に到るまで代々同藩の御作事方を勤めて居た家である。明治元年御維新の時一度同藩領地土浦へ引上げたが、 後再び東京に出たのが明治六年で、 夫から今日に到るまで約七十年、 塚田氏が波瀾重畳を極めたる生涯の記録が転廻して来るのである。少壮時代には諸国の侠客と肘を取つて談じ西南の役には徴募隊巡査として出征し、 川尻田原坂、 人吉越等に薩南の健児を向ふにして奮闘した。明治二十七八年戦役には独立野戦電信隊附の人夫千人長として皇軍に従ふなど同氏が豪快な性格を遺憾なく発揮して居た。此の頃の塚田氏伝は他の企て及ばざる人間記録であり、 興味湧くが如き講談ものである。同君の知巳なる徳富蘇峰先生も進んで同君の伝記を綴らんと云ひ、 松林伯円も之を長講に纏めんと勤めた程である。年漸六十、 古稀に達する頃、 塚l君は忽然として感ずる処あり、 小石川仲町十番地に割烹大正亭を開業し、 前日と変つた真面目な旗亭の主人公振を見せたのであつた。大正四年三月二十三日現住所に移転、 自山三業株式会社所属の料理組合に加入した。大正六年九月白山料理組合、 同二業同業会の理事又は組合長を、 昭和五年二月十五日同組合解散迄勤めた。尚同君は富坂警察署管内料理飲会業組合長、 東京市特別税嘱託員、 全国料理業同盟会常務理事、 大東京料理飲食業連合会副会長にして会長代理をなし、 関東、 東京の料理業界の重鎮として推されて居る、 業界の年長者である。性任侠の資に富んで居るので関係業界に紛紜ある時には必ず塚田君の仲間調停の労を待つて解決を得る程で、 業界になくてならぬ人物である。