史蹟、神社、仏閣、名所 - 指ケ谷町 千川屋敷跡

千川屋敷跡

千川上水は徳川家康入国に当り江戸に引く清水として創始したものである。 上水を掌る千川氏に宅地を賜つて居らしめたもので、今の指ケ谷町百二十九番地辺に其の千川屋敷があつたものであらう。 小石川誌料に、小石川千川屋敷、純庸按、指ケ谷町、肴町の辺を云ふ。 四方 間許、以前千川氏両人、一は千川金七と云ひ練馬に居れり。 一は千川某と云ひ此所に居れり、共に千川上水の事を掌りしに、此所に居りし千川某、直ちに此地を給ひし故、かく名付たりと記して居る。 江戸総鹿子に千川上水の跡は玉川(石紳井か)より練馬を経て巣鴨にわたり、駒込富士前より本郷湯鳥に至り、上野、谷中、下谷、柳原、浅草辺へ掛りし上水なり。 享保中止と出でゝ居る。 千川上水が取止となつたのは、享保七年八月十九日御触書に依つて明である。